新選組では多くの方のイメージ通り、脱走者には切腹という厳しい「掟」がありました。
しかし、あくまでも”無断”で新選組を脱走/辞めることが禁止なだけで、
入隊したが最後の片道切符の組織ではありませんでした。
この記事では、新選組の入り方と辞め方を解説します。
新選組に入り方(入隊制度)
新選組は腕の立つ剣客集団ですが、入隊について厳しい試験があったわけではありません。
つまり、無試験でした。
慶応元年(1865)、長州藩領に暮らしていた28歳の金作という人物が新選組に入隊しようとしたときの記録が残っています。
結局、金作は入隊はしませんでしたが、やり取りは以下のようなものでした。
芸州宮島出身です!
(ウソ)
独身かまたは妻子これある者か?
夫婦に娘1人、都合3人
妻子10里余(約39㎞)のところへ預け置き、
一人(で)参り候わば組に入れ遣わす
条件は、たった一つ。
家族があれば、京都から10里(約39㎞)以上離れた場所に住まわせ、単身赴任をすること。
10里というと、1日では往復できない距離なので、脱走防止の処置だと思われます。
あとは明記はされていませんが、入隊者の実績から考えると、年齢制限(16以上50歳未満)があったと考えられます。
実技披露などの実力チェックはなく、入隊のハードルは低かったようです。
新選組の辞め方(除隊制度)
一方、新選組の辞め方はどのようなものだったのでしょうか。
最も簡単な方法は脱走です。
しかし、脱走は「掟」で禁止されていたため、正規の方法ではありません。
新選組を辞めるには「除隊」という制度を利用する必要がありました。
除隊には3つの要件の内1つにあてはまり、必須条件を満たさなければなりません。
【除隊のための3つの要件】
- 洋行志願
- 不適材
- 病気
【除隊のための必須条件】
京都もしくは大坂から退去すること
除隊のための要件① 洋行志願
1つ目の要件である洋行志願とは、欧米への留学を希望することです。
修業のために海外留学を希望する隊士は円満に新選組を辞めることができたのです。
例えば、司馬良作という隊士が制度を利用しています。
西村兼文の『新撰組始末記』の記事に以下のように記録されています。
隊士斯波良蔵(司馬良作のこと)は洋行を志す所ありて、修業する暇を乞いて退去す
『新撰組始末記』
時期は不明ですが、円満に除隊したと思われます。
除隊のための要件② 不適材
2つ目の要件である不適材は、実戦に不向きの隊士であった場合に申請します。
例えば、藤沢彦次郎(藤沢竹城)という隊士が制度を利用しています。
藤沢は事務職(勘定方、小荷駄方)に配属されたことを不満に思い、除隊を申し出ました。
本人は武術の腕を発揮できないことを不満に思い、
一方で新選組も藤沢を実践では役に立たないと判断したようです。
西村兼文の『新撰組始末記』の記事に以下のように記録されています。
藤沢竹城は文芸のみにて、武事の用をなさずと倦して退去す
『新撰組始末記』
現代のサラリーマンの転職と同じような人事上の不満とした理由ですが、
藤沢も切腹することなく円満に除隊することができています。
除隊のための要件③ 病気
3つ目の要件は病気の場合です。
職務が遂行できないため、当たり前ですが、病気の場合は除隊ができました。
例えば、小路平三郎という若狭国小浜出身の隊士がいました。
西村兼文の『新撰組始末記』の記事に以下のように記録されています。
小路平三郎は病によって本国若狭に帰りたる
『新撰組始末記』
除隊のための必須条件
多くの隊士が制度を利用して、円満に除隊しました。
要件はさまざまですが、共通の条件があったようです。
除隊には京都・大坂から退去することが必須となっていました。
これは、隊士たちが攘夷活動や倒幕運動をするのを防ぐためです。
まとめ
以上、新選組の入り方と辞め方を解説しました。
入隊には試験が無く、単身赴任が唯一の条件で、ハードルは低かったようです。
一方、辞めるには除隊制度を利用することで円満退職ができました。
一般的には、新選組を辞める場合は切腹というイメージがありますが、
あくまでも「無断」で脱走した場合のみです。
正規の手続きを踏めば、無事に除隊することができたのです。
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