昨今、芸能界でも話題をさらっている不倫騒動。
しかし、不倫は現代に限ったことではありません。
江戸時代には不倫を「不義密通」と呼び、妻と間男は死罪。
さらには、夫が2人を殺害しても問題ないとされ、凄惨で悲しい結末が多く起きています。
江戸時代では不倫が露見すると現代以上に、悲惨で残酷な末路を辿り、まさに、命懸けだったのです。
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江戸時代の不倫・不義密通の刑罰
徳川幕府は、不倫、特に人妻の不倫ついてはとても厳しい刑罰を定めていました。
寛保2年(1742)に制定され、刑罰規定が記載された『御定書百箇条』の中に、
不倫をした妻と間男は「死罪」。
- 密通いたし候妻 死罪
- 密通之男 死罪
- 密通之男女共に夫殺候はば 於無紛は無構
不倫が事実であれば、夫は2人を殺しても問題ないと明確に記載されていました。
さらに、さまざまな不倫のケースを想定して、何パターンもの刑罰が明記されています。
- 夫が間男だけ殺して不倫した妻が生き残った場合:妻は死罪
- 妻が不同意なのに言い寄った間男を夫が殺した場合:夫も妻も無罪
- 不倫をした妻が夫を殺した場合:引き廻しの上、磔
- 不倫をした妻が夫を傷つけた場合:引き廻しの上、獄門
など、とても多彩に条文が記されています。
それだけ、不倫が多発していたのでしょう。
ちなみに、夫は不倫をした妻と間男を殺害しても良いという法律は鎌倉時代以前から存在し、戦国時代に成文化されたと言います。
江戸時代では、明暦元年(1655)に同様の法令は出されており、『御定書百箇条』や諸藩の法律にも繋がっているようです。
江戸時代の不倫の例①~ささやかな初老の夢を壊した新妻の不倫~
不倫をした男女の末路は凄惨を極め、各地に史料が残されています。
最初に会津藩で起こった不倫を紹介します。
天和2年(1682)10月13日。
若い男が女の屍と一緒に磔にされました。
二人は不倫をして極刑を科されたのでした。
時は1年遡り、天和元年(1681)9月。
長らく江戸で暮らしていた初老の庄兵衛が故郷の会津に戻ってきました。
しばらくは、叔父のもとに身を寄せて、その間に六蔵という下男を雇います。
そして、翌天和2年2月。若く美しい妻を迎え、城下に新居を購入して
新しい人生をスタートしたのです。
庄兵衛はわずかながら蓄えがあったので、夫婦で商いを始め、老いた母親にも楽をさせてあげよう。
そして、美しい妻と穏やかで幸せな日々を送る夢を思い描いていました。
しかし、そんな夢を打ち砕くように、妻と下男の六蔵が不倫が発覚します。
ことのきっかけは六蔵の一目惚れ。
庄兵衛の婚礼の日に、美しい新妻を見た六蔵がたちまち恋に落ちてしまったのです。
六蔵の猛アプローチが功を奏し、新妻もまんざらではなかったようで、なんと婚礼から1か月もたたないうちに、不倫関係となってしまいました。
そんな二人の怪しい関係に庄兵衛が気付いたのは3月半ば頃だったといいます。
そして、4月26日の夜に決定的瞬間を目撃してしまいました。
やはり六蔵が妻の寝室から忍び出てきたのです。
怒りに燃える庄兵衛はその場で二人の殺害を決意しましたが、母親が近くで寝ていたため思いとどまったと言います。
しかし、5月3日。
恥辱と無念さで悶々とした気持ちが晴れない庄兵衛は妻敵討の遂行を決意したのです。
とはいえ、相手は自分より若く、体力もある六蔵なので、万が一打ち漏らし、逆に殺されてしまう可能性もある。
こんな心配から庄兵衛は叔父をはじめ、親類に手紙を残します。
手紙には、庄兵衛の無念な思い、母親の世話を頼み、六蔵を仕損じた際には親類一同で御上に訴え出てほしい旨がつづられていました。
そして、妻敵討の決行をしたのが6月1日の朝。
母親が叔父の家に出かけたあと、六蔵が家事を行っているところを背後から斬りつけました。
なんとか飛びよけた六蔵に、三太刀を浴びせるも逃亡されます。
一方、事情を察して逃げ出そうとする妻は逃さずに捕まえ、その場で斬殺。
その後、六蔵は会津藩に捕まり、主人の妻と不倫をした罪で、すでに屍と化していた妻とともに磔の刑に処されたのでした。
庄兵衛は自身で六蔵を手にかけることには失敗しましたが、妻は殺害しながらも罪には問われませんでした。
江戸時代の不倫の例②~ドロドロ近親相姦&ダブル不倫~
次に、近親相姦かつダブル不倫というとてつもなく乱れた情事を紹介します。
享保15年(1730)の出羽庄内藩での出来事です。
1550石取の家老・加藤大弐には、松田という娘がいました。
この松田が享保15年8月に、同じく家老の家である松平武右衛門久映(ぶえもんひさてる)のもとに嫁ぎました。
しかし、わずか2か月後の10月17日。
松平武右衛門家から加藤家へ松田を離縁すると一方的に通達されました。
実は、その前日に松田は出産していたのです。
あきらかに久映との子ではなく、強く問したところ、異母兄の加藤多士美政純との不倫のすえにできた子どもだということが判明しました。
言い寄ったのは多士美の方で、理由は江戸勤番の際に馴染となった吉原の遊女が妹の松田と瓜二つだったからという理由でした。
実はこの当時、多士美も高瀬という女性と結婚しており、ダブル不倫にあったのです。
しかも、高瀬は以前から夫・多士美と義妹の松田の関係にも気づいていたというので恐ろしい。
さて、松田は大きくなったお腹を「血塊」の病といって偽り続けていたようで、周りも全く指摘をしなかったようです。
しかし、いよいよ臨月となった松田は、病気と偽って実家で出産しようと帰省します。
そして、出産を終えたばかりの子どもを圧迫して殺害することを付き添いの乳母に命じたのです。
そんな時、嫁の松田の体調を心配した姑が見舞いに訪れました。
慌てて乳母が松田が会うのを恥ずかしがっているからといって面会を遠慮してもらおうとしました。
そう言われた姑は帰宅しようとしましたが、その瞬間。
ひん死の赤子がすさまじい勢いで産声をあげて、姑に真相を知られたのです。
こうして松田は離縁され、兄妹の秘めた過ちは表立った事件に発展し、藩当局も本格的な調査に乗り出したのです。
人妻で、しかも妹である松田と不倫をした罪人として多士美は禁固刑とされ、妹とともに藩の処分を待つことになりました。
そして、享保16年(1731)3月25日。
加藤大弐に対して、家老の解任のうえ、蟄居。多士美と松田の処分は大弐に任せるという判決が下りたのです。
そして、当日の夕飯後、藩から身柄を引き渡された多士美と松田の2人を手討ちにしました。
家老という藩の重責を担う家同士の問題のため、夫である松平久映自身が手を下したわけではありませんが、
不倫の兄妹の哀れな末路を紹介しました。
江戸時代の不倫の例③~不倫を繰り返す江戸町人の妻~
不倫の結果の惨劇は江戸でも同様に起きています。
天保10年(1839)6月7日のことです。
神田金沢町の肴売りの妻が不倫をしていました。
夫は以前からこの不倫に気付いていましたが、穏便に済ませるため、
第三者を介して妻に不倫を止め、反省するように促していました。
しかし、妻は構うことなく、不倫関係を続けます。
そんなある日、仕事から帰ってきた肴売りはなんと妻と間男の情事に鉢合せしてしまいます。
二人は夫の目を盗んで、酒を飲みながら楽しんでいたというのです。
怒りで我を忘れた肴売りは出刃包丁で男を殺し、逃げ回る妻を追い詰めて、彼女も惨殺しました。
不倫と勘違いした夫の末路
さて、ここまで紹介した例は妻が本当に不倫をしていたことが証明されています。
しかし、夫が不倫と勘違いしてしまうケースもありました。
天明2年(1782)7月10日の四つ半(午後11時頃)。
酒に酔って帰宅した同心の岩岡勝三郎が蚊帳の中に入って寝ようとしたところ、すでに寝ていた妻のみねが「あっちで寝てください」と勝三郎を突きました。
前年に息子を出産して以来、妻の態度が邪険になっており、もしや間男がいるのではと、勝三郎は常々疑念を抱いていたといいます。
そんな時にみねが冷たい態度をとったため、勝三郎の疑念は確信に変わり、「他に男ができたからそんな態度をとるんだろう」と怒り、みねを殺害してしまいました。
しかし、みねに不倫の証拠はなく、幕府は証拠もなく殺害をした勝三郎に死罪の判決を言い渡しました。
江戸時代とはいえ、むやみやたらに妻を殺害して良いわけではなかったのです。
夫が不倫をした場合は妻はどうしたか
現代同様、夫が不倫をするケースも多くあります。
その場合、妻たちはどのような態度をとったのか、印象的な事件を2つ紹介します。
夫が不倫をした場合は妻はどうしたか ケース①
天保7年(1836)の江戸。
木挽町の芝居小屋で働く久次郎31歳と妻タキ28歳の夫婦に起きた事件です。
昔から女遊びが激しかったという久次郎は梅毒にかかり、タキに移してしまいました。
その結果、タキの容貌が崩れてしまい、久次郎はタキを抱くことを拒むようになります。
しかし、そもそもの原因である久次郎は遊女屋に頻繁に通うようになり、タキは嫉妬と憎悪でいっぱいになって復讐を決意しました。
そして、9月12日の夜。
いつも通り遊女屋から酔ってきた久次郎に近づいたタキは、なんと剃刀で夫の陰茎を根元から切り取り、そのまま実家に逃げました。
久次郎は一命は取り留めたようですが、彼の一物は青松寺に埋められてしまったといいます。
夫が不倫をした場合は妻はどうしたか ケース②
もう一つの例は文化2年(1805)7月の熊本藩で起こった事件です。
蔵満村の卯右衛門が足軽の古閑武平太の妻イノと不倫をしていました。
ところが、卯右衛門の妻は以前から夫の不倫を察知していました。
ある日、夫が密会中の古閑家の門先まで行って、
近所中に聞こえる大声で「おいの様が不倫をしているところを見届けました」と叫んだ上、夫を連れ帰りました。
近所中に不倫を知られることになったイノは生きることに絶望し、自殺します。
一方で、卯右衛門は出奔しますが、捕らえられて鞭打ち90回の刑に処されました。
夫に不倫をされても、ただ涙にくれるだけではなく、強く行動する妻が多数存在したのです。
まとめ
以上、江戸時代に実際に起こったさまざまな不倫について紹介しました。
江戸時代は家が重視され、個人の自由な恋愛による結婚はほとんどなかった時代です。
それだけに、禁断の恋愛への誘惑は大きかったのかもしれません。
しかし、江戸時代を通して、不倫は重罰とされ、死罪となった男女が少なくありません。
江戸時代の不倫はまさに命懸けで、バレたら残酷な末路が待っていたのです。
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