2024年10月から『青のミブロ』や『るろうに剣心』がスタートし、新選組の注目が今まで以上に上がっています。
新選組は文久3年(1863)~明治2年(1869)の6年間で延べ520人の隊士がいました。
この記事ではその活動の中心であった京都の隊士たちの年齢をまとめました。
新選組隊士の年齢を考える条件
対象の時期
新選組は幕末をわずか6年間だけ存在した組織でした。
鳥羽伏見の戦いで敗北し、江戸、会津、箱館と転戦していきますが、徐々に旧幕府側の藩士を受け入れるなど隊士の構成が複雑になっていきます。
そのため、この記事では新選組が京都で活動時期を対象としました。
年齢は数え年
また、年齢にの数え方は現在と異なるので、当時に合わせて「数え年」としてます。
新選組幹部たちの年齢まとめ
新選組といえば、芹沢鴨や近藤勇など幹部たちをイメージするのではないでしょうか?
ここでは、その幹部たちの年齢をまとめました。
ただ、新選組の組織は頻繁に変更があったため、統一して紹介するのが難しいです。
例)沖田総司の役職・・副長助勤、一番組組頭、小銃頭など
そのため、ここでは京都新選組で幹部をつとめたことのある人物を表にしてます。
最年長の安藤早太郎は奈良東大寺で行われた「通し矢」という競技の記録保持者になるほどの弓術の名手だった人物です。
その実力を買われて43歳で入隊し、副長助勤もつとめましたが、池田屋事件で負傷して命を落としました。
最年少は有名な藤堂平助と斎藤一です。
2人は同級生でしたが、あまりイメージないでしょうか?
役職 | 氏名 | 生年 | 入隊時 | 入隊時の年齢 |
---|---|---|---|---|
筆頭局長 | 芹沢鴨 | 天保3年(1832)? | 文久3年(1863) | 32歳? |
局長 | 近藤勇 | 天保5年(1834) | 文久3年(1863) | 30歳 |
局長 | 新見錦 | 天保7年(1836)? | 文久3年(1863) | 28歳? |
副長 | 山南敬助 | 天保4年(1833) | 文久3年(1863) | 31歳 |
副長 | 土方歳三 | 天保6年(1835) | 文久3年(1863) | 29歳 |
副長 | 沖田総司 | 天保13年(1842) | 文久3年(1863) | 22歳 |
副長助勤 | 平山五郎 | 文政12年(1829) | 文久3年(1863) | 35歳 |
副長助勤 | 野口健司 | 天保14年(1843) | 文久3年(1863) | 21歳 |
副長助勤 | 永倉新八 | 天保10年(1839) | 文久3年(1863) | 25歳 |
副長助勤 | 井上源三郎 | 文政12年(1829) | 文久3年(1863) | 35歳 |
副長助勤 | 平間重助 | 文政7年(1824) | 文久3年(1863) | 40歳 |
副長助勤 | 藤堂平助 | 弘化元年(1844) | 文久3年(1863) | 20歳 |
副長助勤 | 原田左之助 | 天保11年(1840) | 文久3年(1863) | 24歳 |
副長助勤 | 佐伯又三郎 | ? | 文久3年(1863) | ?歳 |
副長助勤 | 斎藤一 | 弘化元年(1844) | 文久3年(1863) | 20歳 |
副長助勤 | 安藤早太郎 | 文政4年(1821) | 文久3年(1863) | 43歳 |
副長助勤 | 松原忠司 | 天保8年(1837) | 文久3年(1863) | 27歳 |
副長助勤 | 尾形俊太郎 | ? | 文久3年(1863) | ?歳 |
副長助勤 | 武田観柳斎 | ? | 文久3年(1863) | ?歳 |
副長助勤 | 谷三十郎 | 天保3年(1832) | 文久3年(1863) | 32歳 |
副長助勤 | 浅野薫 | ? | 文久3年(1863) | ?歳 |
参謀 | 伊東甲子太郎 | 天保6年(1835) | 元治元年(1864) | 30歳 |
副長助勤 | 三木三郎 | 天保8年(1837) | 元治元年(1864) | 28歳 |
新選組の最年長隊士は46歳
新選組の最年長の隊士は慶応元年(1865)に入隊した中村玄道という隊士です。
中村の入隊時の年齢は46歳でした。
ちなみに、根岸友山という55歳だった隊士がいます。
根岸は壬生浪士組発足から約2週間後の文久3年3月末には芹沢や近藤らの暗殺を恐れて京都を離れたため、対象外としました。
(粕谷新五郎も同様に3月末には京都を去っています)
梁田三次郎という人物も入隊時に47歳だったと伝わります。
しかし、生年がはっきりしないので、対象外としました。
以下、入隊時の年齢が40歳以上の隊士をまとめました。
役職 | 氏名 | 生年 | 入隊時 | 入隊時の年齢 |
---|---|---|---|---|
ー | 根岸友山 | 文化6年(1809) | 文久3年(1863) | 55歳※ |
ー | 粕谷新五郎 | 文政3年(1820) | 文久3年(1863) | 44歳※ |
副長助勤 | 平間重助 | 文政7年(1824) | 文久3年(1863) | 40歳 |
副長助勤 | 安藤早太郎 | 文政4年(1821) | 文久3年(1863) | 43歳 |
平士 | 梁田三次郎 | ? | 文久3年(1863) | 47歳?※ |
小荷駄方 | 神崎一二三 | 文政6年(1823) | 元治元年(1864) | 42歳 |
平士 | 中村玄道 | 文政3年(1820) | 慶応元年(1865) | 46歳 |
新選組の最年少隊士は16歳
新選組に最年少で入隊した隊士は、谷周平です。
入隊時は16歳でした。
谷周平は長兄・三十郎と次兄・万太郎とともに文久3年(1863)に入隊しました。
その後、局長・近藤勇の養子となりますが、慶応3年(1867)頃には解消されてしまったようです。
その他にも翌年には同級生の三浦啓之助(佐久間象山の息子/勝海舟の甥)も17歳で入隊しています。
ちなみに慶応3年(1867)の隊士募集では「両長召抱人」という近藤勇と土方歳三に付属する小姓役の少年たちが入隊しています。
他の隊士と比べ、特殊な役割のため、ここでは対象外にしました。
以下、20歳未満で入隊した隊士をまとめました。
役職 | 氏名 | 生年 | 入隊時 | 入隊時の年齢 |
---|---|---|---|---|
平士 | 谷(近藤)周平 | 嘉永元年(1848) | 文久3年(1863) | 16歳 |
平士 | 松本喜次郎 | 弘化3年(1846) | 文久3年(1863) | 18歳 |
平士 | 三浦啓之助 | 嘉永元年(1848) | 元治元年(1864) | 17歳 |
平士 | 後藤大助 | 嘉永2年(1849) | 慶応元年(1865) | 17歳 |
平士 | 中村五郎 | 嘉永2年(1849) | 慶応元年(1865) | 17歳 |
平士 | 古川小二郎 | 嘉永元年(1848) | 慶応元年(1865) | 18歳 |
平士 | 松原幾太郎 | 弘化4年(1847) | 慶応元年(1865) | 19歳 |
平士 | 小林桂之助 | 弘化4年(1847) | 慶応元年(1865) | 19歳 |
平士 | 沖田承之進 | 弘化4年(1847) | 慶応元年(1865) | 19歳 |
平士 | 佐久間顕助 | 嘉永3年(1850) | 慶応2年(1866) | 17歳 |
平士 | 佐々木一 | 嘉永4年(1851) | 慶応3年(1867) | 17歳 |
平士 | 池田七三郎(稗田利八) | 嘉永2年(1849) | 慶応3年(1867) | 19歳 |
平士 | 吉田俊太郎 | 嘉永2年(1849) | 慶応3年(1867) | 19歳 |
まとめ
以上、新選組隊士の年齢についてまとめました。
幹部の最年少は有名な藤堂平助と斎藤一で入隊時は20歳という若さでした。
最年長と最年少の隊士はそれぞれ46歳、16歳でした。
記録は残っていないので憶測になりますが、新選組では上限を50歳、下限を16歳として年齢制限をもうけていたと思われます。
コメント