権勢を誇った田沼意次の嫡男・意知が旗本の佐野政言に江戸城内で斬りつけられるなど混沌とした天明4年。
そんな空気を一気に振り払うように、山東京伝が翌天明5年に、仇気屋艶二郎という面白おかしなキャラクターを生み出しました。
大金持ちのボンボンである艶二郎は、抜けあがった額、あぐらをかいた鼻、広がった顎の醜男でありながら、自分は女性にもてるはずだと思っている非常にポジティブな性格のキャラクターです。

今回の記事ではこの勘違い男が繰り出す様々なモテ男の笑える行動が描かれた『江戸生艶気樺焼』を紹介します。
山東京伝のプロフィール
江戸生艶気樺焼の内容の前に作者、山東京伝のプロフィールを紹介します。
京伝は、浮世絵、小説で名を残します。
さらに、キセルと、煙草入れ屋を営む商人としての顔ももっていました。
京伝は生粋の江戸っ子で、20代から吉原に頻繁に出入りし、2人の妻を吉原から身請けするほど、裕福で吉原が大好きな男でした。
京伝が最初に注目を浴びた分野は浮世絵でした。
安永4年(1775年)、京伝が15歳の頃。
京伝の絵の才能に目をとめた両親は、当時の浮世絵の大家・北尾重政に入門させます。
そして、北尾政演という号をあたえられました。
18歳のときに黄表紙『開帳利益札遊合』の挿絵を描いたことを皮切りに、一気に人気浮世絵師の地位を手に入れます。
絵師としての代表作は『青楼名君自筆集』で、蔦屋重三郎を版元として出版されました。

この絵は当時、人気を二分した扇屋の花魁・滝川と花扇を描いています。
滝川は、京伝の最初の妻となったお菊の妹です。
絵師・北尾政演として世間から才能を認められていた京伝が小説の分野でも注目を浴びるようになったのは、天明2年(1782)のことです。
黄表紙『御存商売物』が大田南畝によって称賛されたことがきっかけでした。

この頃から山東京伝を名乗るようになり、蔦屋重三郎や大田南畝、恋川春町らと吉原によく出入りするようになります。
自身の作品にはみずからが絵を描き、代表作となる黄表紙『江戸生艶気樺焼』を発表するのです。
山東京伝の代表作・『江戸生艶気樺焼』のあらすじ
『江戸生艶気樺焼』は天明5年に発表された、全三巻からなる黄表紙です。
タイトルの「江戸生」は江戸っ子。
「艶気」は浮気を表し、「蒲焼」はうなぎの蒲焼のダジャレになっています。
物語は主人公の仇気屋艶二郎という大金持ちのボンボンの醜男が、女性にモテたい、世間にモテ男だと思われたいという一心からあの手この手でバカな行動をします。
しかも、信じられないほどの大金を使います。
世間とは間隔がずれた艶二郎ですが、「俺ってモテるんだよな~」という常にポジティブな思考の持ち主だからなのか、なぜか憎めない性格で、当時の江戸の人々を大いに笑わせたキャラクターでした。
ちなみに、「仇気」とは気持ちが変わりやすいという意味で、「艶二郎」はタイトルの「艶気」とかけた名前です。
主人公の名前そのものがモテたい男を凝縮しており、読者をひきつけました。
それでは、『江戸生艶気樺焼』の内容を意訳を交えながら紹介します。
『江戸生艶気樺焼』を現代語訳(意訳)で紹介

100万両(≒1兆円)長者と呼ばれた豪商・仇気屋のひとり息子、艶二郎という男がいました。
歳は19~20歳くらいで、何不自由ない暮らしを満喫していました。
ある日、芝居の中に登場する男みたいに「モテたい!」とふと思い、
同じようにモテモテになれば命を落としてもかまわない。
と馬鹿らしいことを考えるようになりました。
しかし、その思いは日に日に強くなり、命懸けでそう思うようになってしまったのです。

そこで、艶二郎は仲が良かった道楽息子の北里喜之介と悪井志庵という太鼓医者に女性にモテる方法はないかと相談しました。
相談の結果、モテる男は入れ墨をしているものだということになり、
両腕から指にまで、女性の名前を彫っていきます。

艶二郎は痛いのをこらえながらも、「この痛みがイキなんだよな~」と喜びました。
さらに、志庵が「元カノがいた様子が伝わった方が良いんじゃない?」とアイディアを出したため、一部はお灸で消したりしました。
さらに、艶二郎は役者の家へ美しい女性が押しかけたという話をうらやましく思い、
近所で評判のおゑんという踊り子を50両という大金で雇って艶二郎の元へ駆け込ませようとしました。

その願いを聞き届けて、志庵がおゑんのもとに頼みに行き、おゑんは快諾したのです。
そして、約束通り、おゑんは艶二郎の家に押しかけ、
「私はこの裏通りに長く住んでいるしがない芸者でございます。植木の影からこちらの艶二郎さんに一目惚れしました。女房にしてもらえないのでしたら、飯炊き女でもよいので、ここにおいてほしいのです。それもダメとおっしゃるのなら、死ぬ覚悟でございます。」と頼んだ通りの言葉をしゃべりまくります。

これに気を良くした艶二郎は「もう10両追加するからもっと大きな声で頼む」と依頼しました。
これには仇気屋の番頭は「若旦那のお顔でこんなことあるのか?おゑんさんとやら、家を間違ってませんか?」と聞き、
仇気屋で働く下女たちは「うちの若旦那にほれるなんて、とんだ変わり者だ」とヒソヒソと言いました。
しかし、隣の人でさえも気づかないほどに世間では艶二郎の噂が流れません。

艶二郎は、事の顛末を読売にして、一人1両(≒10万円)で雇って市中に売らせました。
「評判だ。評判だ。仇気屋の息子の艶二郎という色男に、美しい芸者が惚れて駆け込んだよ・
大変だ。大変だ。一部始終はここに細かく書いてあるよ。タダでよいから持って行ってくんな。」
「なんだい。ただのやらせだろ?タダでも読むのが面倒だわ」とやっぱりこんな始末でした。

そこで、今度は吉原で女遊びを始めて、遊女との噂を立てようと思い至りました。
悪井志庵や北里喜之介らを取り巻きに通を気取って遊びなれた風で吉原の仲の町へ行きます。

そして、艶二郎は浮名屋の浮名という花魁に会い、すっかり惚れられたつもりになりました。
しきりに、襟元を正しながら、「色男はまったくいつでも気を遣うものだぜ」と思います。
さて、良い気分になった艶二郎ですが、遊女と遊んで家に帰っても焼餅を焼いてくれる女房がないと物足りないなと思い始めます。

嫉妬さえしてくれればよいということで、40歳くらい女性を200両(≒2,000万円)の支度金で妾に迎えました。
そんな妾に対して、またしてもその気になって艶二郎は「去年の春に中州で会った私娼ではないか?結婚詐欺じゃないだろうね?」とお道化てみせます。
それに対し、「私を嫁にしてもどうせ、女遊びに夢中で私などおかまいにならないでしょう」と早くも嫉妬の片鱗を見せ始めます。
金の力で妾まで手に入れた艶二郎ですが、やはり浮名花魁が最高だと思い、何とか商売抜きの相手になりたいと思ううになりました。
しかし、浮名は承知しません。

そこで、悪井志庵を表向きの客にして、浮名を連日独占。
自分は若い新造遊女を相手にして、その後浮名と密会するようにします。
志庵と自分の分の料金を払って遊び、イキな自分に酔いしれました。
「他の金持ちが浮名花魁と会えなくて怒る様子を聞いていると5~600両(≒5~6,000万円)の値打ちがあるもんだ。」と艶二郎。
浮名も「本当にあんたさんは、モノ好きなお人ですね。」と答えます。

さらに浮名花魁の妹分の新造や禿たちにも引っ張られ、「とんだ外聞の良さだ」と調子の良い様子。
こんなやり取りを繰り返し、5~6日ぶりに家に帰ると、待ちかねていた妾はここが奉公のしどころだと、連日練習していた不満を存分に言いまくり、焼餅を焼きました。

「本当に男というものは、どうしてそんなに女の嫉妬心がわからないのかねえ。それほど私に惚れこまれるのがいやなら、そんなにいい男に生まれてこなければよかったんだよ。女郎も女郎さ。人の大事な男を自分のものにしやがって。お前さんもお前さんですよ!もう好きになさればいいさ!」
「と初めてなので、これくらいにしておきましょうか」といった次第。
艶二郎はこれに嬉しくなってしまい、「生まれて初めて焼餅をやかれたよ。どうにも言えねえ心持だ。もっとやいてくれたら、着物と帯を買ってやるよ。もうちょっと頼む、もうちょっと頼む」とお願いし、どんどん願いを叶えていきます。
ある日、芝居をみた艶二郎は、とにかく色男はヤクザ者に絡まれて殴られるもんだと思い込みました。
そして、艶二郎はヤクザ者を雇います。

「お前のような良い男がいると、女郎たちが浮ついて仕事にならないだろ!おれたちも色男にちょっと焼餅やいてるんだ。」と絡ませました。
このセリフも艶二郎がオーダーしたものでした。
罵られながらも、艶二郎は「その拳には3分(≒75,000円)ずつの金がかかっている。少し痛くてもいいから、上手に見栄えの良いように頼む、頼む」とお願いしました。

こうして欲望を叶えてきた艶二郎ですが、急に金持ちが嫌になりました。
そこで、自分を勘当してほしいと両親に願い出ます。
ひとり息子のため、勘当できないと両親は拒否しますが、75日という期限を決めて勘当が許されました。

そして、艶二郎は芸者7~8人を雇い、浅草観音に艶二郎の勘当が解けるようにお参りをさせます。
芸者たちは「適当に終わらせて帰ろう」と口々に言ってお参りしました。
艶二郎は勘当されたものの、お金は母親から送られてくるので、何も困りませんが、

人の気を引く商売をしてみたいと、扇売りを始めました。
扇売りは色男がやるものと相場が決まっておりましたが、そこは艶二郎。
街ゆく女性は「鳥羽絵(≒鳥獣戯画/マンガ)みたいな男が通ったよ」と言われます。
一方、艶二郎は「また惚れられたみたいだ。色男は大変だぜ」とご満悦です。
調子に乗り続けた艶二郎ですが、75日という約束が過ぎ、20日の勘当延期を願いでました。

そして、ついに、芝居最大の見せ場である心中がしたいと言い始めます。
艶二郎は心中して命を落とす気持ちになっていますが、浮名は承知しません。
そこで、浮名を1,500両(≒1億5,000万円)で身請けして、心中のための衣装を買い集めます。
また、喜之介と志庵の合図で心中を辞めるというようにシナリオをしっかりと作りました。
浮名はたとえ嘘であっても、艶二郎との心中とは外聞が悪いとなかなか承知しませんでした。
しかし、艶二郎は心中が終わったら好きな男と一緒にしてやるとイキな発言をしたため、ようやく納得します。

すんなりと身請けするなど色男らしくないと思う艶二郎は、駆け落ちする形をとりながらも、窓の格子を壊して開け、そこから梯子をかけて二階から抜け出すようにしました。
店からは「身請けしてもらったから自由にすれば良いですが、格子の修理代は200両(≒2,000万円)に負けておくね」と言われ、艶二郎は承諾。
本来は一目を忍んで行う駆け落ちを堂々と行い、
若い者たちが「花魁、ご機嫌よう駆け落ちなさいませ」と送り出しました。

さて、無事に吉原を出た艶二郎と浮名は最期の場所につき、志庵たちに合図を送ったところ、突然黒装束の泥棒が2人現れました。
そして、2人の衣服をはぎとって真っ裸にしてしまいました。
泥棒は「お前らはどうせ心中して死ぬのだから、俺たちが介錯してやろう」と脅します。
慌てた艶二郎は「おいおい、早まっては困る。おれたちは死ぬための心中ではない。ここへは止め役が入るはずなのに、どうして間違ってしまったんっだ。着物はあげますから命だけはお助けください。」とこんな調子。
「これ以後こんな考えは起こさないか?」と泥棒が尋ね、艶二郎は「これで懲りないはずはありません」と答えました。

「おれは自分がしたことだから、こんな格好になるのも仕方がないが、花魁はさぞ寒いだろう。お互い真っ赤な下着でお揃いになっているのもおかしいな」と弱気になった艶二郎は浮名に話しかけます。
「これが本当の巻き添えの迷惑というものさ」と浮名が答えながら、勘当の期限も切れたので2人は仇気屋へ向かいました。

実家に帰った艶二郎は衣桁に奪われた着物が懸けてあるのを見て不思議に思っていると、父と番頭が奥の間から現れました。
なんと、先ほどの泥棒は、父と番頭が変装していたというのです。
「若い時は血気盛んで気持ちが定まらないものだが、身を慎まねばならぬことが色々ある。そんなこともお前は知らないのか。軽はずみな思いつきが度を超すと、このように恐ろしい目に逢うんだぞ。これからは喜之介や志庵とも付き合うのはよしなさい。」と父に叱られ、艶二郎は心を入れ替えることを誓いました。
浮名も艶二郎の男ぶりの悪さは我慢して、他の男のところにも行かず、夫婦となります。
そして、艶二郎の身代は安泰となり、仇気屋はますます繁盛したのでした。
そして、これまでの浮気心への執着を断ち切るために黄表紙にして世間にしらせようと、山東京伝に頼んでまとめ、世間の浮気人への教訓としたのです。
めでたし、めでたし。
まとめ
以上、山東京伝の代表作となった『江戸生艶気樺焼』を紹介しました。
この作品は、艶二郎が描く愚かな思惑が次々と外れ、エスカレートしていく面白さが描かれています。
通を気取りながら、反対に野暮の典型となっている様子や、お金持ちなのに、親に勘当されたいと言い出す、世間とは反対の感性を描き、馬鹿だなあと思わせるおかしさも描かれています。
そんな憎めない主人公である艶二郎というキャラクターは人気を博し、2年後の天明7年(1787)に刊行された『通言総籬』では艶二郎、喜之介、志庵の3人がそのまま登場するほどでした。
以後、京伝は蔦重の元で仕事をするようになります。
そして、混沌とした世の中に笑いを届け続けたのです。
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